自分探しとは

  • カテゴリ:雑記
  • コメント:0件
  • トラックバック:0件
  • EDIT
自分探し、てな言葉がある。いわく、今の自分は本当の自分ではなく、本当の自分はここにないどこかにある、といって世界中、当てもなく捜し求めるらしいのだが、まさか、落し物じゃあるまいし、その辺に「本当の自分が」が転がっていることなんてないだろう(それはそれで面白そうだが)。もちろん、物理的に「本当の自分」とやらが存在していると信じて疑わず、若者が血迷った行動に出るわけがないのはわかっている。潜在的にあるはずだが、今の段階では不明確な、何か才能らしきものを探すために、非日常的な活動を行うのが「自分探し」とやらである。

でも、ちょっとまってほしい。「本当の自分」はそんな生ぬるい行動では見つけられないと思う。言い換えれば、自分探しという行為は、もっとシビアで現実的で、妄想やら空想やらとはかけはなれたものであるはずだ。自分を探すとは、文字通り自分を見つけること。自分を見つけるには、自分自身をくまなく見なくてはならない。とはいえっても、別に鏡の前でまじまじと自分の顔を眺めるわけではない。自分ができないこと、自分できることをはっきりさせること。自分が自分を見るにあたって、見たくない箇所、見たい箇所、それぞれ分け隔てなく、見つめること。そのためには、具体的に、何かアウトプットをして、今の己のポテンシャルを人の目に触れさせたり、客観的な指標で現実化させなくてはならない。

例えば、自分には何かわからないけど、才能があると思って、その中でもなんとなく将来はミュージシャンになれるんじゃないかと漠然と思っていたら、実際に音楽をつくってみる。で、できた作品をyoutubeにアップしてみたり、レコード会社に送りつけてみたりする。すると、必ず評価が下される。おそらくは、厳しい現実を待っているだろう。自分は音楽の才能がないのではないか、と感じさせる現実が。こういった一連の行為こそ、自分を見つめる作業、すなわち、自分探しに他ならない。

こうしたアウトプットをして、外部に発表したり、試験などの客観的に結果が出ることで、自分を検査・評価する。大体の人は、類まれな才能があるわけではないから、ことごとくダメの烙印を押されるであろう。でも、めげずに、様々なことに手を出し、自分を第三者の目にさらし続ければ、あれもこれもできない、といった辛い現実から、徐々に「本当の自分」という抽象的な事柄に輪郭が帯びてくる。

たくさん失敗をしても、その中で相対的にマシなものが見つかるかもしれない。あるいは、まったく見つからないから、仕方なく好きでもない仕事をする、といったごくごく現実的な選択肢をとる、というのも、「本当の自分」のひとつのカタチだ。

「本当の自分」は決して、輝かしいものであることを保証しない。たぶん、自分には何もなかった、という答えに行き着く人が多数のはずだ。でも、そこで、空想と現実との折り合いがついて、ひとつ道を選ぶことができれば、そのときは、ただ漠然と海外放浪をしてモヤモヤを払拭できない気分とは、まったく違った好き見切った心持でいることができるだろう。まずは、自分を現実にさらすこと。青臭さはその行動の積み重ねでしか、とることはできない。

コメント

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。