理論化と現実と

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以前から学者風情の人は好きではなかった。理屈をきれいに並べるよりも、泥臭くても現実を前に進めている人のほうが好感が持てた。

理論化がまったく無駄だとは思わない。混沌とした世界を整理することは、人間の知の可能性をひろげる、意味のある行為である。ただ、理論化は、雑然とした目の前にある世界を、ある一定の範囲に限定して、そこ分析を徹底的にすすめる。現実との整合性を捨て、論理性を重視する。現実にばかり目を向けていたら、理屈が立たない。だから、現実と理論との乖離は、ある意味では当然の結果だ。

当然だが、理論が役に立ちにくいのは、それを形成するプロセスから鑑みるに、宿命である。学問だとか、理論だとかは、そういった性質があることを自覚しなくてはならない。

現実の役に立たないから、まったく意味がないわけではないが、そこまで有用性がないこともまた事実である。学問は、現実とは別の世界にある言語と似ている。

学者なり評論家をみていてあまり好きではない理由は、精緻な理論を知っている己に奢っている様子が伺えるからである。上記のことを踏まえたら、もう少し謙虚な物言いができるはずだ。

たとえば、いくら素晴らしい経営学の理論を構築しても、化学メーカーの経営者とゲーム会社の経営者のどちらにも通ずる理論を完成させるのは困難を極める。再三繰り返すが、理論とはそういうものである。最終的な意思決定をすのは、その産業に属する構成員自らが生み出す発想であって、理論は補助的な役割しか果たさない。

学者が現実と離れた場所で、かつ、限られた範囲で理論を構築しても、変化が激しい現代では、出来上がったてもすぐに賞味期限を迎えてしまうだろう。

学問に従事する人の謙虚さがあれば、現実も今よりかは歩み寄るかもしれない。

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