自己紹介

関東生まれ。いわゆるバブルの時代に生まれる。ゆとり世代。保育園時代は長野で過ごす。

■保育園時代

この頃の記憶はほとんどない。しかし、聞くところによると保育園の女の子を追っかけまわしたり、美人な先生ばかりに泣きついたりといったプレイボーイっぷりを発揮していたとのこと。今では考えられない。一方、虚弱体質でいじめられたりもしていたらしい。弱虫だったのかもしれない。

■小学校時代

関東に移る。公立小学校入学。かなり田舎で実家は木林森山(造語)の中にある。100超の階段を上らないと家にたどり着かないというスーパー健康的な立地条件であった。クモやゲジゲジ、ムカデなど、いまでもよく見かける隣人と出会うのもこの時期。小学校は田舎偏差値トップにふさわしく、6年間クラスがひとつしかないという少数精鋭体制を敷いていた。友達といったん仲が悪くなろうとも、卒業まで数年間共に学校生活を送ることを強いられるというまたとないシステム。イケイケボーイを目指してサッカーや野球をやってみるが挫折。スポーツは好きだったが、得意な方ではなかったのだ。スポーツと言えば、友達と卓球をよくやった。しかし、勉強は全くせず。勉強はそっちのけで、遊び関係はいろいろ手を出して見る。小3で麻雀を始めたのは珍しい方かもしれない。述べるまでもないが、ガキの鉄板遊び道具であるテレビゲームはやりたおした。プレイ時間は裕に1日6時間を超えたものだ。その集中力を勉学に注ぎこんでいれば、現在のような容態にならずにすんだはずである。そのおかげか、小5から弱冠メタボになる。また、小6の頃よくキャッチボールした友達はいまや東京六大学野球のエース格。ドラフト上位でプロ入り間違いない存在だ。彼はとうに僕の存在は忘れているだろうが、勝手に友達だったとしてプロ入り後も自慢させてもらおうと目論んでいる今日この頃である。

■中学校時代 

身長が一番伸びた時期。チビから普通になる。メタボも身長が伸びたのと部活のおかげで解消。部活は野球部に入部。先輩がこわかった記憶がある。ポジションは内野を中心にいろいろ。最後の大会ではキャッチャーをやっていた。基本的に野球のセンスはなかったが、雑用係に向いていたため部長に指名される。部長といっても実質雑用係であったが、このおかげで3年の地区選抜選手(うまくはないが部長なので)としてオールスターに出場できでき、最後の最後で報われた感が募った。2年の時に捨て猫を拾う。彼は当初、かなり謙虚な態度で我々に接してくれたが、今では信じられないほど高慢になってしまった。リビングルームには彼の指定席が設置してあり、そこへの侵入は言語道断である。飼い始めたころは、猫缶のCMでれそうなくらいなイケ猫で、本気でCMに出そうかと悩んだが、瞬く間にメタボになったので断念。今も体重を上昇させることに精を出している。特技は昼寝と食事、あと夜遊び。また、3年の体育祭では1500mで優勝。ここでは書ききれないほどのドラマがあったが、この出来事が陸上部への入部動機となる。高校入試は前期選抜(推薦)で、2ランクくらい自分の実力より上の高校に入学する。レベル的には本当にごく普通の公立高校である。

■高校時代

学校のお勉強レベルは普通でも、他は違った。美女率が高く、海が目の前かつファーストキッチンとセブンイレブンがあるという最高の立地条件(皮肉抜きで)。さらに、高校でビューのやつが大半であった。つまり、高校デビューし最高に高校生活を送れる条件は整っていたのだ。しかし、ストイックな性格が幾分手伝って、自らイバラの道(陸上部入部)へ突き進むことになる。とはいえ、高校時代は一番人生で頑張った時期かもしれない。県大会に出場したり、県駅伝で市の代表チームに参加するなど自分の中ではかなり輝いていた時もあったが、練習の度が過ぎて、ノイローゼになる。いろいろ限界がきて高3になる直前でやめる。それから2,3か月の間腐るが、腐敗が完了して土になったところで受験勉強を開始する。基本的に頭は悪かったが、勉強時間はかなり稼いだ。模試では上下運動が激しく、一喜一憂の日々であった。最後の追い込みでなんとか志望群の大学に合格する。

■大学時代(現在も含む)

かなりしょうもないことをやっていた(やっている)。大学生らしいことはあまりしていない。今もしょうもないことをやっていると言っていいだろう。あまり詳しく書きたくないので、”しょうもないことをやっていた”ということで。サイト開設や編入試験受験もそれに含まれる。とにかく、しょうもない。


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