自分探しとは

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自分探し、てな言葉がある。いわく、今の自分は本当の自分ではなく、本当の自分はここにないどこかにある、といって世界中、当てもなく捜し求めるらしいのだが、まさか、落し物じゃあるまいし、その辺に「本当の自分が」が転がっていることなんてないだろう(それはそれで面白そうだが)。もちろん、物理的に「本当の自分」とやらが存在していると信じて疑わず、若者が血迷った行動に出るわけがないのはわかっている。潜在的にあるはずだが、今の段階では不明確な、何か才能らしきものを探すために、非日常的な活動を行うのが「自分探し」とやらである。

でも、ちょっとまってほしい。「本当の自分」はそんな生ぬるい行動では見つけられないと思う。言い換えれば、自分探しという行為は、もっとシビアで現実的で、妄想やら空想やらとはかけはなれたものであるはずだ。自分を探すとは、文字通り自分を見つけること。自分を見つけるには、自分自身をくまなく見なくてはならない。とはいえっても、別に鏡の前でまじまじと自分の顔を眺めるわけではない。自分ができないこと、自分できることをはっきりさせること。自分が自分を見るにあたって、見たくない箇所、見たい箇所、それぞれ分け隔てなく、見つめること。そのためには、具体的に、何かアウトプットをして、今の己のポテンシャルを人の目に触れさせたり、客観的な指標で現実化させなくてはならない。

例えば、自分には何かわからないけど、才能があると思って、その中でもなんとなく将来はミュージシャンになれるんじゃないかと漠然と思っていたら、実際に音楽をつくってみる。で、できた作品をyoutubeにアップしてみたり、レコード会社に送りつけてみたりする。すると、必ず評価が下される。おそらくは、厳しい現実を待っているだろう。自分は音楽の才能がないのではないか、と感じさせる現実が。こういった一連の行為こそ、自分を見つめる作業、すなわち、自分探しに他ならない。

こうしたアウトプットをして、外部に発表したり、試験などの客観的に結果が出ることで、自分を検査・評価する。大体の人は、類まれな才能があるわけではないから、ことごとくダメの烙印を押されるであろう。でも、めげずに、様々なことに手を出し、自分を第三者の目にさらし続ければ、あれもこれもできない、といった辛い現実から、徐々に「本当の自分」という抽象的な事柄に輪郭が帯びてくる。

たくさん失敗をしても、その中で相対的にマシなものが見つかるかもしれない。あるいは、まったく見つからないから、仕方なく好きでもない仕事をする、といったごくごく現実的な選択肢をとる、というのも、「本当の自分」のひとつのカタチだ。

「本当の自分」は決して、輝かしいものであることを保証しない。たぶん、自分には何もなかった、という答えに行き着く人が多数のはずだ。でも、そこで、空想と現実との折り合いがついて、ひとつ道を選ぶことができれば、そのときは、ただ漠然と海外放浪をしてモヤモヤを払拭できない気分とは、まったく違った好き見切った心持でいることができるだろう。まずは、自分を現実にさらすこと。青臭さはその行動の積み重ねでしか、とることはできない。
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大手の中のブラック企業

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ワタなんとかに代表されるエグい企業のおかげか、ブラック企業ということばが就活生にのみならず、一般人の間にも定着しだしている。ブラック企業は低賃金・長時間労働という2枚看板をかかげた会社のことを言うが、焦点になりがちなのはブルーカラーである。でも、実はホワイトカラーに中にもブラックはたくさんある。スーツを着たヤクザといったところか。賃金が低くなくても、劣悪な労働環境にある職業がある。まあ、ブラックというのは個人の主観によっても大幅に変わるからなんともいえないが、共通しているのは、大手でもカネにかかわる仕事はやっぱり黒い。カネを扱うのには神経を非常に減りすらす。ましてや、単なる金庫番ではなく、カネからカネを生み出さなくてはならない。というと、金融で黒いといえばサラ金でしょ?という声がありそうだが、残念ながら都銀などの大手も例外ではないと思う。もちろん、実際に働いたことがないので、なんともいえないが、親戚の知り合いの話を効く限り、少なくともかつての都銀はかなりエグかったらしい。ただ、それは大蔵省の保護下にあって、金利に規制が働いていた時代。金融も自由競争に突入した現在、エグさが下がることは考えにくい。カネを貸すとなると、土地などの担保も必要になるが、土地や建物など巨額なカネが動く会社は、いくら給料が良くても堅気でない方々とお会いする機会がある。なので、不動産関係、建設関係もブラックの範疇に入る。金融=銀行・証券・生保・損保・ノンバンク等、不動産、建設などがブラックとなると、大手でブラックでない職となると限られてくる。でも、僕はいくら給料がよくても、総合商社はいやだな。明日から中東での油田開発のプロジェクトに参画しろと飛ばされたら、日揮の社員みたいなリスクを背負って海外赴任しなくてはならない。もちろん、それにやりがいを感じるひともいるのだが、僕には無理な話だ。

イチローのこと

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遅ればせながら、イチローが日米通算4000本の安打を達成したニュースについて。

自分は未成年の頃野球をやっていた。成人になってからは、日曜に筋トレと称して素振りをするくらいだ。そうはいっても、一応は元野球部員の端くれ、尋常の人よりかは野球について精通している。だから、このイチローが成し遂げた記録がどの程度すごいかは、野球を未経験の人よりかはわかりそうなのものだが、実際は全くわからない。すごすぎてわからないとよく言うが、まさにその感覚だ。4000本という数字は、一年200本を20年続けてようやく到達できる数字だというのは直感的にわかりやすいが、ワンシーズン130試合程度という事実を無視して、毎日一本、360日欠かさずヒットを打ったという強引な仮定を置いても、大体10年かかるのであることからも、途方もない記録であることは認識できるはずだ。そもそも、毎日欠かさず10年続けていることが、身の回りにあるかと言われると、呼吸とか睡眠とか、そういう生命維持活動くらいしか思い浮かばないのだから情けない。凡人と偉人の差は大きいようで小さいというが、やっぱり大きい。

イチローの髪型も何か好感が持てる。松井秀喜の先輩だというから驚きだが、アラフォーにもかかわらず、野球少年みたいにきれいな坊主をしている。ヘルメットをとって、ファンの声援にこたえる姿は、まさにジャパンアズナンバーワンを髣髴させる。野武士みたいでクールだ。

ただ、ひとつクールでない点をあげるとすると、イチローの迷言。変換ミスではない。イチローの名言とは耳にするが、個人的には彼の発言自体に、あまりよいものがあるとは感じない。例えば、大記録達成後の記者会見で、今後の進退についての彼の発言は、「あきらめない自分をあきらめた」というものだ。内容は一読してわかるし、いいたいこともわかるし、彼には名言を吐く資格が十二分にもあるが、どこか表現を凝ろうとして、的をはずしている感がいなめない。普通に、あきらめなずにこれからも続けていきたい、と素直に言えば、純粋にかっこいいで終わると思うが、そこだけが気がかりだ。

だらだらと書き連ねたが、いずれにせよ、一国民として、非常に慶賀に値することだと思う。

イチロー大記録達成おめでとう!

宮崎駿監督、引退

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ジブリでおなじみの宮崎駿監督が引退するという。映画でアニメといえば、宮崎駿でジブリとピンとくる。ジブリの映画の中ではじめて見たものは何かと問われると案外出てこない。直感的にはトトロだった気がするけど、時系列的にはカリオストロの城のほうが古い、いや、蛍の墓が記憶の中で一番古いかもしれない、といった感じでコレだ!と断定が出来ない。それほど、小さな頃からジブリに親しんでいる証拠なのかもしれないが、そんな慣れ親しんだジブリの総指揮官が引退するのか、と感慨にふけりそうになった。

しかし、このおっさん、よく思い返してみると、何度か引退発言を過去にしていたことがあるみたいだ。なんでも、ひとつひとつの作品の全エネルギーを注いでしまうため、映画が完成した頃には燃え尽きてしまうそうだ。まるで明日のジョーみたいだが、一仕事終えて、十分な休息をとると、またもういっちょやってみるかと気力がわくそうで、そんな繰り返しの結果が幾多の引退発言なのだそうである。

引退発言そのものの是非はおいておいて、生半可な態度では名作品を生み出せないであろうことを考えると、仕方のない面もあるわけで、個人的には落ち度を強く攻めることはできない気がする。
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